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森のおうち

(Sun)

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安曇野の赤松の森の中。
木々にまぎれるように建っている絵本美術館。

一生忘れない音楽を贈られた場所。
ろうそくの灯りのような音楽でした。

併設されたコテージ
おいしい牛乳とパンを買ってきて
シチューを作ってご飯にした。
凍えながら星を見た。

物語のような時を過ごせる場所。
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代々木の老舗カフェ

(Sun)

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職場近くにあるから
お昼に行きたいとずっと思っている。
でも喫煙のお店だから
なかなか入れないでいる。
職場の制服に匂いが付いてしまうと困るから。
クリーニングに出す前日に行こうか。

立川

(Sun)

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ピンクの建物の中にある
隠れ家カフェ

音楽が大きめに流れて
中央線がガタゴト通り過ぎて
こそりと話す

好みのコーヒーがあって
読書が進む場所

リトアニアのガラスとそこら辺の花

(Mon)

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先日、アンティーク市で買ったリトアニアのガラスと
そこら辺の花がよく似合うのです。

水張りが乾くまでの落書き。

パブロ・ピカソ

(Sat)

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パブロ・ピカソ
1881-1973
スペインの画家

ピカソは天才だと呼ばれ、最も多くの作品を残した人。
私も天才だと思う人。

小さなころからあまりにも上手くて、美術教師だった父が自分で絵を描くことをやめてしまったエピソードが残ってるけれど、
のちに、その天才はこう言っている。
「ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ」


ピカソはパワフルに制作していた人だけど、
恋にもパワフルで、相手が変わるたび、画風が変わっている印象。

アンリ・マティス

(Sat)

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アンリ・マティス
1869-1954
フランス

色彩の魔術師と呼ばれている人。
自然、緑を愛し、とても美しい色彩で表現している。

病気を患い、体力がなくなって、油絵が描けなくなってからも、切り絵の作品を多く残している。


私の好きな写真家二人、アンリ・カルティエ・ブレッソンとロバート・キャパがマティスの写真を残している。
私はそれぞれの写真家の展覧会でその二枚に会って、とても好きになった。
これはロバート・キャパが撮ったマチスの写真をもとに描いた。

藤田嗣治

(Sat)

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藤田嗣治(フランス名はレオナール・フジタ)
1886-1968
日本

猫と女性を得意とした画家さん。
特徴である乳白色の肌の秘密は生涯語られなかったそう。

フィンセント・ファン・ゴッホ

(Sat)

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フィンセント・ファン・ゴッホ
1853-1890
オランダ

ゴッホの人生はとんでもなく切ない。

自分で耳を切ってしまうなど、精神を病んでいたゴッホ。
その苦悩はフィンセントと名付けられたことから始まったと聞いたことがある。
その名は父方の祖父の名前であり、
ゴッホの生まれる1年前に死産していた兄に名付けられていた名前だった。

同じ名前がたくさんいることに、ゴッホは自分は誰なのか、悩んだそう。

画商で働いてもうまくいかなくて、
両親との関係もうまくいかなくなって、
失恋して、
聖職者を目指しても挫折して.....
唯一の理解者である弟のテオに援助してもらいながら、画家を目指すようになる。


耳を切ってしまったのは、アルルでゴーギャンとの共同生活でのこと。
ゴーギャンとの共同生活にたくさんの理想を描いていたけれど、考え方はことごとく合わず、
それが決定的になって、共同生活は破滅する。

その後、なんども錯乱し、発作を起こし、精神病院で過ごすことが多くなった。

名前の苦悩もまだ終わらなくて、
テオは結婚し生まれた子に愛する兄の名「フィンセント」と名付けた。
ゴッホは嬉しい反面、妻子を得たテオに見捨てられるのではないかと、恐れた。

麦畑で拳銃自殺を図る。
でも、死ぬことも上手くいかず、
駆けつけ泣き崩れたテオに「また失敗しちゃたよ」、「泣かないでくれ。みんなのために良かれとやったんだ」。
2日間苦しみながら、テオに看取られた。

死のすぐ後から、ゴッホの才能は評価される。
それを皮肉に思いながら、
テオは、兄の死に悲しみ苦しみ、錯乱を起こし、半年後、衰弱して亡くなる。

亡くなる直前、狂気の合間に描いた作品が短期間にたくさん残っている。
それらは凄まじく、魅力的だった。
テオへの手紙にこんなこと書いていた気がする。
「絵に全てをかけたから、自分はボロボロになった」みたいなこと。
ゴッホの画家人生は短かったと思う。評価される直前に亡くなってしまうのも残念だったと思う。生きていたら描いていた絵をとても見たかったけど、
でもゴッホの精一杯だったような気がする。頑張った人だと思う。

アメデオ・モディリアーニとジャンヌ

(Sat)

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アメデオ・モディリアーニ
1884-1920
イタリアの画家

ジャンヌ・エビュテルヌ
1898–1920
フランスの画家

子供の頃、母はよく美術館に連れて行ってくれた。そこでよく見ていたモジリアーニ作品。
母は「青い目をとても綺麗に描く画家さん」と教えてくれた。

数年前、bunkamuraでモジリアーニとその妻ジャンヌの展覧会があった。
二人の愛を追うようなそんな展示。
お互いの絵が素描を含め、数多く残っている。

モジリアーニは10代から結核を患っていて、お酒や薬物に逃げ、そのせいで35歳の若さで亡くなっている。
最期はボロボロの身体で横たわるモジリアーニをジャンヌはたくさんの素描にのこしていた。
どんどん弱っていくモジリアーニを
ますます愛しく頬を撫でるように描かれた線がとてもとても切なかった。

モジリアーニの死の翌日、ジャンヌも自ら命を絶ってしまう。
子供を一人残して、お腹の赤ちゃんを道連れにして......
展示を見るまで、それが腹立たしかったのに、モジリアーニの最期を描いた素描を見ていたら、ただ辛いだけになった。

エミリー・カーメ・ウングワレー

(Sat)

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エミリー・カーメ・ウングワレー
1910頃-1996
オーストラリア

アボリジニの集落に生まれた画家さん。
アボリジニの儀式の時に砂や女性の体に描く模様を描いていた人。
70歳から絵を描き始める。

アトリエはアボリジニの暮らす赤い大地。
大地に大きく広げて四方から絵を描いていたから、天地がない。

大きなキャンバスに点と線ばかりで描かれる。
私には光が溢れて見えて、展示室が光に溢れて、光で真っ白になって何も見えなくなった。
純粋なパワーをもらえた。

彼女の絵と、
そして彼女の残したこの言葉が大好き。


すべてのもの、そう、すべてのもの.......
すべてのものこそ私が描くもの。

すべてのもの、そう、すべてのもの、私のドリーミング、ペンシル・ヤム、トゲトカゲ、草の種、ドリームタイムの子犬、エミュー、エミューが好んで食べる草、緑豆、ヤムイモの種、これが私が描くもの、すべてのもの。


展示場でこの言葉に出会ったとき、とても感動した。
両手で数えられることだけですべてなんだって、
本当に大切なことだけを知っている人なんだって、なんて美しい生き方だろうと思った。

アルフレッド・ウォリス

(Sat)

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アルフレッド・ウォリス
1855~1942
イギリスのコーンウォールの港町

彼の作品に出会ったのも横須賀美術館。
「船で行く美術館」そんな記事を読んで出かけた場所で、ものすごく大好きな画家さんに出会えた。

元船乗りの画家さん。船具商もしてた人。
70歳から絵を描き始め、習ったわけではないから、画材は、ダンボールや板の切れ端に、船を塗装するペンキだったりする。

二人の画家が、ウォリスの暮らすセント・アイビスを訪れたとき、
ふっと覗いたウォリスの家の中、いっぱいに溢れた絵を発見したそう。

ただ、海と奥さんを愛した人。
だからなのか、とてもとても素朴な絵を描く人。

菅野圭介

(Sat)

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菅野圭介
1909-1963
昭和の洋画家

横須賀美術館は海が見える美術館で、出来立ての頃、夏の季節には、そのロケーションによく似合う展覧会をしました。
数年前の夏、菅野圭介の展示もあって、その時初めて知った画家さん。

その展覧会のチラシになった作品「哲学の橋(ハイデルベルク)」。
その絵にとても惹かれて訪れて、作品を見て、色彩やシンプルな形の捉え方がとても魅力的だと思った。

晩年に描いていたシンプルな海のシリーズ。
美術館から出ると、目の前に広がる海。
それがとても感動的だった。

しばらく海を眺めていたので、その海と共に思い出す画家さん。

トーベ・ヤンソン

(Sat)

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トーベ・ヤンソン
1914-2001
スウェーデン系フィンランド人

ムーミンで有名なトーベ・ヤンソンは、第一次世界大戦の始まった年にフィンランドで生まれ、独立、内戦、第二次世界大戦......
そんな時代を生きた画家さん。
当時のフィンランドは男尊女卑が激しく、
女性が仕事をすることも良く思われなくて、
そんな考えの父親との確執があったり、
戦争の時代であったことにも苦しめられ、「戦争をする男の人はダメ、子供を産んだら男の子が生まれちゃうかもしれない、男の子は戦争をする.....」そんな極端な考え方を持っていたよう。

トーベ・ヤンソンは自由に生きた人だと言われている。
有名なムーミン、子供向けではないと批判を受けた時、「自分が面白いと思うものを書いてる」といった。
一番は仕事、二番目は恋愛だったみたいで、死ぬ直前まで制作を続け、40年近く一緒にいた同性のパートナーもいたそう。


トーベ・ヤンソンの作品の中に描かれる、フィンランドの森、架空の生き物.....自然を敬う根本を感じて、私はそれが好き。